「自己表現なんて怖くてできなかった」 About 森のフクロウ
こんにちは。森と詩うひと、森のフクロウです🦉
ここでは、「読めばわかる、森のフクロウのプロフィール」をお届けしようと思います。
普通に会社員としてしか生きてなかった人が、何で自然とともに歌うなんてことをすることになったのか。
もともと、
・自分の意見を言うのにもドキドキする。
・人の顔色を見る。
・人がやってるのをみて、失敗しないよう真似してからはじめる。
・昔、歌詞を書こうとした時は、怖すぎて具合が悪くなる。
・変な人と思われたくない
・なるべく争わない方を優先する。。。
みたいな時間が長かったわけで。
今現在の自分からみたら、ぜんぶ真逆で、「壮大な前振り、おつかれ!」という一言で片付いてしまうアレです。
◾️簡単に、フクロウの性質。
・自然大好き。森、川、星空、風、焚き火、せせらぐ音。故にキャンプ大好き。
・お祭り大好き。イベント大好き。みんなでわーい!遊ぶことに魂の震えを感じる。
・歌は、歌詞やメロディーが降ってくるので、制作時間はとても短い。すぐできる。つくるというか、あるものをダウンロードしてるだけ、という感じ。
・心や意識、エネルギーを体験の元に探求、実践すること、発見することが大好き。よく人の相談やカウンセリングにものってきた。
・目にみえないものたちとも仲良し。
・社会人時代は、主に教育事業のことをずっとやっていて、人の成長、研修などのことに携わっていた。
・教育やカウンセリング経験を経て、今しみじみ思うのは、「アホと一緒に遊んでるだけで、みんな元に戻れる」と強く確信。人も自然も精霊も神さまも、みんなが一緒になって遊べる世界を創ることにわくわくする。
今は主に
・自然、森たちと歌を共同創造し、うたう
・youtube に作品をリリース
・お祭り、ライブ、イベント
・神事での歌の奉納
・歌声と直感、カウンセリング経験を活かしたエネルギーをシフトさせる個人セッション
を活動内容としています。
◾️「創作、表現」にたどり着くまでの、「自分を取り戻す期間」
上に書いたように、「自分を生きる」からだいぶ外れて、「傷つかないように、真似をしながら安全に生きる」を優先していた時代が長かった。
でもある時、限界が来た。
きっかけはめちゃくちゃささやかなこと。
時は2014年末。
自分を殺して言いたいことを言わず、我慢していた当時の彼氏との関係に疲れ、思った。
「こんなに苦しいのは、なんか自分に変えるべきことがあるんじゃないか?」
「半年後には笑っていたい。だったら、今結論を出そう」
そこから踏み切り、押さえ込んで隠してしまった「本当の自分」を探す旅に出た。
本当、いろんなことがあったけど、あの時、自分を見つけに出発できて本当によかった。
ざっくりと振り返ると
2015 探求スタート。ポジティブに振り切る
2016 自分の中での最初の陰陽統合
2017 体の訴え。手術。方向転換。
2018 歌い始め、今に生きて、今に至る。
1つ1つに濃ゆいストーリーがあるのですが、それはまた別の機会に。
とにかく、いろんな出会いと経験を経て、自分の思い込みを外し、エネルギーを軽くして、どんどん制限を手放していった。
出会えたみんなのおかげで今がある。本を読むのは得意じゃないけど、とにかくその都度、その道を先に進む先輩に学び、実践&体験を繰り返しまくった。
いつしか、
・自分の意見をはっきり表現し
・争いを恐れず
・思うままに歌詞を書き
・誰の真似でもない、自分自身の声で歌い
・自分の感覚と見えない大きなものに対して深い信頼を置けるようになっていた。
まず、この世界においてピュアな自分との繋がりを取り戻すこと。
それが出来た今。
今だからこそ、私がやるべき音楽がこの世界にあらわせるんだと感じている。
◾️フクロウと音楽。
振り返れば、音楽や歌うことは大好きで、小さな頃から、気づけば毎日3、4時間は自然と歌って過ごしていたような子ども時代。
なんとなく音楽に関わりたいと思いながらも、なぜかいつも美術部に入ってしまうというツンデレ具合。
高校卒業後も、歌の上手さだけで、ちょくちょく歌ってという依頼はくるものの、バンドもアカペラグループもなんだか形にならないのを繰り返し、「やっぱ、向いてないのかな。」と挑戦を諦めるようになった。
一方、クラブで踊りまくることにはどハマりし、数年間毎週通って、まったく踊れないところから、クラブで楽しく自然に踊れるくらいまでにはなり。
ドラムを始めたり、やめたり。
そして段々、音楽から離れていった。
もう、音楽をプレイヤーとして楽しむこともそんなにないんだろう。と思っていた。
だから、自分が自分の「歌いたい」という根底にある欲求に気付いた時、衝撃だった。
「え?みんなカラオケ好きだよね。そんくらい当たり前のことでしょ?」と。
しかも散々自分を取り戻すための心や意識の使い方をやっていたにも関わらず、そこだけはものすごくあついガードがあったように、まるで拾い上げられなかった。
でも、あるヒトの一言をきっかけに、それはあらわれた。
そのおかげで気付けた。
「まだ自分を大切にできていない何かがある」
そこに向き合った時、当たり前のようにそこにずっとあって、とっくの昔にゴミ箱に捨てようと片付けていた、「歌う」という行為。
それが急に主張を始めた。
「歌いたい」
それを拾った瞬間、自分の中で何かのスイッチが入り、魂まで満たされたような気持ちになった。
◾️自分を封じ込めた、ささやかな経験。
自分が自分の表現をする。
思うまま、誰の真似をするでもなく、思ったままに表現する。
それが怖くなったのはいつからだったんだろう。
そう思った時、ある1つの風景が頭に浮かんだ。
小学生の自分。
美術かなんかで、写生ボードと絵の具を持って、みんな散り散りに描きに行った。
テーマは、「木」
小さな私は、一本の木の前に座り、楽しく夢中で色を塗った。
気分よく教室に帰ってから気がついた。そして怖くなった。
みんな、幹を茶色に、葉っぱは緑に塗っていた。
わたしの絵は、色とりどりのカラフルな葉っぱ。
この世に存在しないような木を描いていたから。
「やばい!間違えた!思う通りになんてかいちゃダメだったんだ!!」
その瞬間の圧倒的な失敗感と恥ずかしさ。
それが、その後何かするときに、人のやり方見てから、間違えないように真似してやる、の原体験だった気がする。
そうなってしまうと、自分を思うままに表現することは、怖いこと、になってしまっていた。
世界の感じ方と、色彩と、自然たちとの交流を取り戻した感覚からすると、あの絵は、世界を適切に見てて、自然たちと交流して描いたものだったんだなってことが、今ならわかる。
■ずっと自分が口にしてきた言葉に、自分が気づくこと。
自分の人生に、何かの遠慮と突き抜けないものは感じていたものの、好きでやりがいのある仕事をし、職場や人間関係にも恵まれ、何かいけないことがあったわけじゃなかった。
言ってみれば、「悪いことはない。まあまあ満足している」
でも、自分でわかってたのは、何かあるんじゃないかという、何かを探す感覚がずっとその根底に流れていた。
人材育成業界という、頭を使う職場に長くいて、まるで自分が左脳優位の人間のような錯覚(笑)まで覚える始末。
打ち込む反面、どこかに違う自分の叫びを抱えていた気がする。
そんな時、カラダのアプローチから自然体に近づく手法に出会い、衝撃がはしった。
頭で変えようとするより、カラダのアプローチの方が早いんじゃないか!と思い、カラダのことも学んだ。
そうして自分のクレンジングが進むたびに出てきた言葉は、
「ひととひと、自然とひとが調和して生きる世界がいい」という言葉。
この想いは今も変わらない。
【自然と歌う】という活動に辿り着くまでも、ずっとこの言葉の周辺をぐるぐるまわりながら深め、思いついては行動して、を繰り返しここまできた。
■大好きだった「縁側」という存在。
縁側。なんていい響き。
縁側って、なんか惹かれる。
縁側に座って、スイカ食べたり、お茶飲んだり、ひなたぼっこしたり。
それだけで、人は大切な何かを想い出したり、エネルギー充電できる、そんな最強パワースポットともいえる縁側。
一時期、とにかく縁側の存在が気になって、縁側ある物件を探したり、縁側のプロを紹介してもらって会いに行ったり。自分の求める、このワクワクする響き「縁側」って何なのか、と。
そして、話していく中で気づく。
わたしは別に、縁側の家屋としての美しさを求めてるんじゃなかったんだ、と。
そこはまさに象徴的に、
ひととひと
ひとと自然
が交わる場所。
その橋渡しのような存在である縁側に、心ときめいていたのだとわかった。
■どこまでいっても大事なコト「みんなで遊ぶこと」
とにかく自分の心がときめくのは、みんなで楽しい瞬間を共有すること。
人がキラキラしてるその瞬間が大好きなわたしは、そのみんなのワクワクが集まってるお祭りとか、イベントとか、楽しい空間に接するとどうしようもなく心が躍る。
「縁側お月見イベントとかやりたい!」っていうのも、結局お祭りやみんなとのわくわくの共有がしたいからなのだ。
キャンプで火を囲んで、楽しく仲間と語らってるとき。
音楽にあわせて、無心で踊るとき。
誰かのココロからの表現を、みんなで分かち合ってるとき。
大きな自然に包まれて、ほわあーってココロがゆるんでいくとき。
人は自分から最高のエネルギーを出す。
そして自分を解放し、ゆるんでいったひとは、いい意味でどんどんアホになれる。
アホになった人のそばにいると、安心してみんなアホになれる。
私も、がちがちだった時代、多くの”何かの制限をぶっこわして生きてる人”の存在にふれることで、自分がゆるんで拡大していった。
そうか!自分がアホになった今、もう小難しいことぬきで、みんなで遊ぶだけでほんとにいいんだな!って、心の底から力強く思うのです。
人生自体をまること遊んでいきる。
意味のない、アホみたいなことも、今この瞬間の自分に従っていきる。
この感覚で生きられたら、本当に人生はすべてを創造できるボーナスゲームに変わる。
◾️「森とうたう」はただの直感から始まった。
わたしはいわゆる直感とかインスピレーションというものが昔から強いタイプだった。
「森のフクロウ greenowl」っていうのも、2018年7月4日の夜、寝る前のぼんやりした頭に急に降ってきた。
「なんだ?森のフクロウgreenowlって!」
そこからメッセージを拾い上げていく。
森と一緒に創って、一緒に歌う。
自然と人間の橋渡しのような存在。
なんだかしっくり来るイメージだったから、湧いたままにまずはやってみよう。
先が見えなくても。
どうなるか頭ではわからなくても。
直感と、自分の中に湧き上がる感覚を信じて、自分に正直に生きていく。
どうなっても、それだけは自分と約束したものだから。
そんなきっかけから、森のフクロウの活動はスタートすることになった。
■本当の自分の歌声と、副産物としてのヒーリング効果。
偶然にも、時を同じくして音楽や歌うこと、声の開発に取り組んでいた仲間のサポートを受け、「森と歌うための、歌声開発」が始まった。
もともと歌は歌えるほうなので、ボイストレーニングというよりも、身体的・エネルギー的観点で開発し、自分の本当の歌声をだしていく、という感じだった。
毎回毎瞬出てきたテーマを深めていくと、歌声のオーラが森とか自然界のエネルギーそのものになり、歌によってそのもののエネルギーをシフトさせる力があることがわかった。
自分は自分の歌声だからあまりわからないけど、周囲の人たちが、「こんなことがあった!」「これも変わった!」と変化を教えてくれたことから、自然発生的な流れで、「歌声によって、その人のエネルギーシフトを加速させるセッション」なるものまで生まれた。
これがほんとに速くて、ブロックとか1秒で外れます。まじです。
ほんとに自分をさくっと取り戻して、ここからの”自分の人生を思い通り創る”時代の流れにのっていけるので、よきように活用してもらえたらうれしいです。
完全に想定外。笑。
だが、直感の強さと、ココロや意識の探求、人の相談にのりまくってきた経験により自然と養われてきたこともあって、結果多くの人の役にたつものになった。
本当、人生にムダはないって、これのことやなあと感慨深い。。
■本当はみんなうすうす気づいてる。”スピリチュアル”とは特殊なものじゃない。
だいぶスピリチュアルっぽいことも書きましたが、世の中自体、もうだいぶこういう情報に対して、当たり前感も出てきてるなと感じます。
”スピ”とかいうから、なんかちょっとやべーなみたいな人の印象で、毛嫌いしてる人も多かったと思うけども。今は友達にそういう人が何人かいる、なんて普通なことだなと思います。
自分も、自分の心身のクレンジングを進めた結果、そうした感覚が戻っていったタイプなので、これは特殊なことじゃないってわかる。
もともと、みんな感じてる「気持ちいい」「なんが気が合わない」とか、そういうもの。
その感じ方は人それぞれ。みんなタイプが違う。
いわゆる、視覚で”みえる”人もいれば、”きこえる”人もいれば、”色で感じる”人もいれば、”感じる”ひともいれば”ふとした直感”が鋭い人もいる。
ある程度自分の中にこれまでの人生でためてきたものや、ふさいでいるものがなくなってくれば、みんな当たり前に戻ってくるし、強まってくる感覚。それだけのこと。
もとに戻るほどに、自分のココロの声や感覚を鋭く掴めるようになるし、コンパスが働くようになる。
そうすると、まじで生きやすい。迷わなくなる。
みんな、1度は全てを忘れて、迷って悩んでスライム倒して途方に暮れるっていう遊びをする。
でも、「なんだ、ただのドラクエか」ってわかれば、スクリーンの中で右往左往する勇者じゃなくて、ガイドブック片手にコントローラー持ってる自分で人生創っていける。
もとに戻るって、この感覚を、今生きながらにして取り戻していくようなもの。
それがわかったら、人生はまじで、すべて遊びだ。
みんなと一緒に遊んでいくこと。いきること。
人も自然も、精霊も神さまも、地球も宇宙も。
あそんでいきましょー!