「自己表現なんて怖くてできなかった」 About 森のフクロウ
こんにちは。森と詩うひと、森のフクロウです🦉
ここでは、「読めばわかる、森のフクロウのプロフィール」をお届けしようと思います。
普通に会社員としてしか生きてなかった人が、何で自然とともに歌うなんてことをすることになったのか。
もともと、
・自分の意見を言うのにもドキドキする。
・人の顔色を見る。
・人がやってるのをみて、失敗しないよう真似してからはじめる。
・昔、歌詞を書こうとした時は、怖すぎて具合が悪くなる。
・変な人と思われたくない
・なるべく争わない方を優先する。。。
みたいな時間が長かったわけで。
今現在の自分からみたら、ぜんぶ真逆で、「壮大な前振り、おつかれ!」という一言で片付いてしまうアレです。
◾️簡単に、フクロウの性質。
・自然大好き。森、川、星空、風、焚き火、せせらぐ音。故にキャンプ大好き。
・お祭り大好き。イベント大好き。みんなでわーい!遊ぶことに魂の震えを感じる。
・歌は、歌詞やメロディーが降ってくるので、制作時間はとても短い。すぐできる。つくるというか、あるものをダウンロードしてるだけ、という感じ。
・心や意識、エネルギーを体験の元に探求、実践すること、発見することが大好き。よく人の相談やカウンセリングにものってきた。
・目にみえないものたちとも仲良し。
・社会人時代は、主に教育事業のことをずっとやっていて、人の成長、研修などのことに携わっていた。
・教育やカウンセリング経験を経て、今しみじみ思うのは、「アホと一緒に遊んでるだけで、みんな元に戻れる」と強く確信。人も自然も精霊も神さまも、みんなが一緒になって遊べる世界を創ることにわくわくする。
今は主に
・自然、森たちと歌を共同創造し、うたう
・youtube に作品をリリース
・お祭り、ライブ、イベント
・神事での歌の奉納
・歌声と直感、カウンセリング経験を活かしたエネルギーをシフトさせる個人セッション
を活動内容としています。
◾️「創作、表現」にたどり着くまでの、「自分を取り戻す期間」
上に書いたように、「自分を生きる」からだいぶ外れて、「傷つかないように、真似をしながら安全に生きる」を優先していた時代が長かった。
でもある時、限界が来た。
きっかけはめちゃくちゃささやかなこと。
時は2014年末。
自分を殺して言いたいことを言わず、我慢していた当時の彼氏との関係に疲れ、思った。
「こんなに苦しいのは、なんか自分に変えるべきことがあるんじゃないか?」
「半年後には笑っていたい。だったら、今結論を出そう」
そこから踏み切り、押さえ込んで隠してしまった「本当の自分」を探す旅に出た。
本当、いろんなことがあったけど、あの時、自分を見つけに出発できて本当によかった。
ざっくりと振り返ると
2015 探求スタート。ポジティブに振り切る
2016 自分の中での最初の陰陽統合
2017 体の訴え。手術。方向転換。
2018 歌い始め、今に生きて、今に至る。
1つ1つに濃ゆいストーリーがあるのですが、それはまた別の機会に。
とにかく、いろんな出会いと経験を経て、自分の思い込みを外し、エネルギーを軽くして、どんどん制限を手放していった。
出会えたみんなのおかげで今がある。本を読むのは得意じゃないけど、とにかくその都度、その道を先に進む先輩に学び、実践&体験を繰り返しまくった。
いつしか、
・自分の意見をはっきり表現し
・争いを恐れず
・思うままに歌詞を書き
・誰の真似でもない、自分自身の声で歌い
・自分の感覚と見えない大きなものに対して深い信頼を置けるようになっていた。
まず、この世界においてピュアな自分との繋がりを取り戻すこと。
それが出来た今。
今だからこそ、私がやるべき音楽がこの世界にあらわせるんだと感じている。
◾️フクロウと音楽。
振り返れば、音楽や歌うことは大好きで、小さな頃から、気づけば毎日3、4時間は自然と歌って過ごしていたような子ども時代。
なんとなく音楽に関わりたいと思いながらも、なぜかいつも美術部に入ってしまうというツンデレ具合。
高校卒業後も、歌の上手さだけで、ちょくちょく歌ってという依頼はくるものの、バンドもアカペラグループもなんだか形にならないのを繰り返し、「やっぱ、向いてないのかな。」と挑戦を諦めるようになった。
一方、クラブで踊りまくることにはどハマりし、数年間毎週通って、まったく踊れないところから、クラブで楽しく自然に踊れるくらいまでにはなり。
ドラムを始めたり、やめたり。
そして段々、音楽から離れていった。
もう、音楽をプレイヤーとして楽しむこともそんなにないんだろう。と思っていた。
だから、自分が自分の「歌いたい」という根底にある欲求に気付いた時、衝撃だった。
「え?みんなカラオケ好きだよね。そんくらい当たり前のことでしょ?」と。
しかも散々自分を取り戻すための心や意識の使い方をやっていたにも関わらず、そこだけはものすごくあついガードがあったように、まるで拾い上げられなかった。
でも、あるヒトの一言をきっかけに、それはあらわれた。
そのおかげで気付けた。
「まだ自分を大切にできていない何かがある」
そこに向き合った時、当たり前のようにそこにずっとあって、とっくの昔にゴミ箱に捨てようと片付けていた、「歌う」という行為。
それが急に主張を始めた。
「歌いたい」
それを拾った瞬間、自分の中で何かのスイッチが入り、魂まで満たされたような気持ちになった。
◾️自分を封じ込めた、ささやかな経験。
自分が自分の表現をする。
思うまま、誰の真似をするでもなく、思ったままに表現する。
それが怖くなったのはいつからだったんだろう。
そう思った時、ある1つの風景が頭に浮かんだ。
小学生の自分。
美術かなんかで、写生ボードと絵の具を持って、みんな散り散りに描きに行った。
テーマは、「木」
小さな私は、一本の木の前に座り、楽しく夢中で色を塗った。
気分よく教室に帰ってから気がついた。そして怖くなった。
みんな、幹を茶色に、葉っぱは緑に塗っていた。
わたしの絵は、色とりどりのカラフルな葉っぱ。
この世に存在しないような木を描いていたから。
「やばい!間違えた!思う通りになんてかいちゃダメだったんだ!!」
その瞬間の圧倒的な失敗感と恥ずかしさ。
それが、その後何かするときに、人のやり方見てから、間違えないように真似してやる、の原体験だった気がする。
そうなってしまうと、自分を思うままに表現することは、怖いこと、になってしまっていた。
世界の感じ方と、色彩と、自然たちとの交流を取り戻した感覚からすると、あの絵は、世界を適切に見てて、自然たちと交流して描いたものだったんだなってことが、今ならわかる。
■ずっと自分が口にしてきた言葉に、自分が気づくこと。
自分の人生に、何かの遠慮と突き抜けないものは感じていたものの、好きでやりがいのある仕事をし、職場や人間関係にも恵まれ、何かいけないことがあったわけじゃなかった。
言ってみれば、「悪いことはない。まあまあ満足している」
でも、自分でわかってたのは、何かあるんじゃないかという、何かを探す感覚がずっとその根底に流れていた。
人材育成業界という、頭を使う職場に長くいて、まるで自分が左脳優位の人間のような錯覚(笑)まで覚える始末。
打ち込む反面、どこかに違う自分の叫びを抱えていた気がする。
そんな時、カラダのアプローチから自然体に近づく手法に出会い、衝撃がはしった。
頭で変えようとするより、カラダのアプローチの方が早いんじゃないか!と思い、カラダのことも学んだ。
そうして自分のクレンジングが進むたびに出てきた言葉は、
「ひととひと、自然とひとが調和して生きる世界がいい」という言葉。
この想いは今も変わらない。
【自然と歌う】という活動に辿り着くまでも、ずっとこの言葉の周辺をぐるぐるまわりながら深め、思いついては行動して、を繰り返しここまできた。
■大好きだった「縁側」という存在。
縁側。なんていい響き。
縁側って、なんか惹かれる。
縁側に座って、スイカ食べたり、お茶飲んだり、ひなたぼっこしたり。
それだけで、人は大切な何かを想い出したり、エネルギー充電できる、そんな最強パワースポットともいえる縁側。
一時期、とにかく縁側の存在が気になって、縁側ある物件を探したり、縁側のプロを紹介してもらって会いに行ったり。自分の求める、このワクワクする響き「縁側」って何なのか、と。
そして、話していく中で気づく。
わたしは別に、縁側の家屋としての美しさを求めてるんじゃなかったんだ、と。
そこはまさに象徴的に、
ひととひと
ひとと自然
が交わる場所。
その橋渡しのような存在である縁側に、心ときめいていたのだとわかった。
■どこまでいっても大事なコト「みんなで遊ぶこと」
とにかく自分の心がときめくのは、みんなで楽しい瞬間を共有すること。
人がキラキラしてるその瞬間が大好きなわたしは、そのみんなのワクワクが集まってるお祭りとか、イベントとか、楽しい空間に接するとどうしようもなく心が躍る。
「縁側お月見イベントとかやりたい!」っていうのも、結局お祭りやみんなとのわくわくの共有がしたいからなのだ。
キャンプで火を囲んで、楽しく仲間と語らってるとき。
音楽にあわせて、無心で踊るとき。
誰かのココロからの表現を、みんなで分かち合ってるとき。
大きな自然に包まれて、ほわあーってココロがゆるんでいくとき。
人は自分から最高のエネルギーを出す。
そして自分を解放し、ゆるんでいったひとは、いい意味でどんどんアホになれる。
アホになった人のそばにいると、安心してみんなアホになれる。
私も、がちがちだった時代、多くの”何かの制限をぶっこわして生きてる人”の存在にふれることで、自分がゆるんで拡大していった。
そうか!自分がアホになった今、もう小難しいことぬきで、みんなで遊ぶだけでほんとにいいんだな!って、心の底から力強く思うのです。
人生自体をまること遊んでいきる。
意味のない、アホみたいなことも、今この瞬間の自分に従っていきる。
この感覚で生きられたら、本当に人生はすべてを創造できるボーナスゲームに変わる。
◾️「森とうたう」はただの直感から始まった。
わたしはいわゆる直感とかインスピレーションというものが昔から強いタイプだった。
「森のフクロウ greenowl」っていうのも、2018年7月4日の夜、寝る前のぼんやりした頭に急に降ってきた。
「なんだ?森のフクロウgreenowlって!」
そこからメッセージを拾い上げていく。
森と一緒に創って、一緒に歌う。
自然と人間の橋渡しのような存在。
なんだかしっくり来るイメージだったから、湧いたままにまずはやってみよう。
先が見えなくても。
どうなるか頭ではわからなくても。
直感と、自分の中に湧き上がる感覚を信じて、自分に正直に生きていく。
どうなっても、それだけは自分と約束したものだから。
そんなきっかけから、森のフクロウの活動はスタートすることになった。
■本当の自分の歌声と、副産物としてのヒーリング効果。
偶然にも、時を同じくして音楽や歌うこと、声の開発に取り組んでいた仲間のサポートを受け、「森と歌うための、歌声開発」が始まった。
もともと歌は歌えるほうなので、ボイストレーニングというよりも、身体的・エネルギー的観点で開発し、自分の本当の歌声をだしていく、という感じだった。
毎回毎瞬出てきたテーマを深めていくと、歌声のオーラが森とか自然界のエネルギーそのものになり、歌によってそのもののエネルギーをシフトさせる力があることがわかった。
自分は自分の歌声だからあまりわからないけど、周囲の人たちが、「こんなことがあった!」「これも変わった!」と変化を教えてくれたことから、自然発生的な流れで、「歌声によって、その人のエネルギーシフトを加速させるセッション」なるものまで生まれた。
これがほんとに速くて、ブロックとか1秒で外れます。まじです。
ほんとに自分をさくっと取り戻して、ここからの”自分の人生を思い通り創る”時代の流れにのっていけるので、よきように活用してもらえたらうれしいです。
完全に想定外。笑。
だが、直感の強さと、ココロや意識の探求、人の相談にのりまくってきた経験により自然と養われてきたこともあって、結果多くの人の役にたつものになった。
本当、人生にムダはないって、これのことやなあと感慨深い。。
■本当はみんなうすうす気づいてる。”スピリチュアル”とは特殊なものじゃない。
だいぶスピリチュアルっぽいことも書きましたが、世の中自体、もうだいぶこういう情報に対して、当たり前感も出てきてるなと感じます。
”スピ”とかいうから、なんかちょっとやべーなみたいな人の印象で、毛嫌いしてる人も多かったと思うけども。今は友達にそういう人が何人かいる、なんて普通なことだなと思います。
自分も、自分の心身のクレンジングを進めた結果、そうした感覚が戻っていったタイプなので、これは特殊なことじゃないってわかる。
もともと、みんな感じてる「気持ちいい」「なんが気が合わない」とか、そういうもの。
その感じ方は人それぞれ。みんなタイプが違う。
いわゆる、視覚で”みえる”人もいれば、”きこえる”人もいれば、”色で感じる”人もいれば、”感じる”ひともいれば”ふとした直感”が鋭い人もいる。
ある程度自分の中にこれまでの人生でためてきたものや、ふさいでいるものがなくなってくれば、みんな当たり前に戻ってくるし、強まってくる感覚。それだけのこと。
もとに戻るほどに、自分のココロの声や感覚を鋭く掴めるようになるし、コンパスが働くようになる。
そうすると、まじで生きやすい。迷わなくなる。
みんな、1度は全てを忘れて、迷って悩んでスライム倒して途方に暮れるっていう遊びをする。
でも、「なんだ、ただのドラクエか」ってわかれば、スクリーンの中で右往左往する勇者じゃなくて、ガイドブック片手にコントローラー持ってる自分で人生創っていける。
もとに戻るって、この感覚を、今生きながらにして取り戻していくようなもの。
それがわかったら、人生はまじで、すべて遊びだ。
みんなと一緒に遊んでいくこと。いきること。
人も自然も、精霊も神さまも、地球も宇宙も。
あそんでいきましょー!
ブログ、お引越ししました!
モリとうたうお祭りピープル、モリノフクロウのブログ、以下に移転しました!
新しく、こちらで今後のカーニバル情報、離島ツアー、チームフクロウのコントな毎日をおとどけ!
https://ameblo.jp/misuzu-333888/
動きだしたカーニバル!
12月。
死にかけていたところから、年明けからの怒涛の展開で今に至る。
もう、人生体育座りすぎて死ぬかと思った。
まじで死にかけてたけど、みなさまのおかげと天の采配ミラクルでめっちゃくちゃ元気になって帰ってきましたー!感謝。
どんなに絶望的な気持ちから抜けられなくても、絶対、またこうなるって決めて諦めないでいるのほんま大事やなって思った。
必ず変化の流れは起こる。
それはまたおいおいとして、いよいよ!
いよいよー!!!
カーニバルが動きだした😆😆😆
2.23は富士山の日!
と、色んなところで見かけた。たしかに!
とにかく、カーニバルでやりたい世界を同じ想いの人たちと共有したい!
というふわっとしたものにも関わらず、ピンと来た人が6人も時間調整して来てくれまして😆😆
もーなんなん。
話してるだけでわくわくが止まらんやないかー!!
みんなのアイデアでどんどこ膨らむ。
ああそうそう、それもいいよね😆😆
うおー!!やばみ😇😇😇
至福の時間やった、、尊い😇
自然も人も八百万も、みんなで遊ぶお祭りなんですよ!
それがお祭りなんですよー!!(サンボマスター風
踊り狂うの大好きなわたしは、火を囲んで踊り狂いたい。
フクロウとして、みんなで音楽もしたい。
アウトドアで自然をめいっぱい感じながら踊れる空間もっとあってくれ。
裸足で土を感じたり。
からだをゆるめ、感覚をひらく。
ポップな祝詞で神さま大喜び。
ゆるく、ポップに、みんながやりたいこと持ち込んで楽しみまくる本気の遊び。
「遊ぶ」って概念の癒し。きみちゃんが言ってた。
遊ぶって、ほんまはめちゃくちゃ尊い。
狭義にとらえられがちだけど、広いよね。ほんとは。
それを、頭で「そうだよね、うんうん」て言うだけじゃなくて、
「まじ、これのことかー!!!やば」
って、体験体感ができたらやばいやん。
そのはらに落ちる感覚を。
温度感を。
興奮を。
体感できるのがカーニバルやと思うもん。
まだまだ生まれたてのカーニバルグループ。
プロジェクト一緒にやりたいひと。
パフォーマンスしたいひと。
出店したいひと。
遊びに来たいひと。
めっちゃ楽しくなってくから、自分の心地よいスタンスで絡みに来てねー!
カーニバルが動き出す。
12月。
死にかけていたところから、年明けからの怒涛の展開で今に至る。
もう、人生体育座りすぎて死ぬかと思った。
まじで死にかけてたけど、みなさまのおかげと天の采配ミラクルでめっちゃくちゃ元気になって帰ってきましたー!感謝。
どんなに絶望的な気持ちから抜けられなくても、絶対、またこうなるって決めて諦めないでいるのほんま大事やなって思った。
必ず変化の流れは起こる。
それはまたおいおいとして、いよいよ!
いよいよー!!!
カーニバルが動きだした😆😆😆
2.23は富士山の日!
と、色んなところで見かけた。たしかに!
とにかく、カーニバルでやりたい世界を同じ想いの人たちと共有したい!
というふわっとしたものにも関わらず、ピンと来た人が6人も時間調整して来てくれまして😆😆
もーなんなん。
話してるだけでわくわくが止まらんやないかー!!
みんなのアイデアでどんどこ膨らむ。
ああそうそう、それもいいよね😆😆
うおー!!やばみ😇😇😇
至福の時間やった、、尊い😇
自然も人も八百万も、みんなで遊ぶお祭りなんですよ!
それがお祭りなんですよー!!(サンボマスター風
踊り狂うの大好きなわたしは、火を囲んで踊り狂いたい。
フクロウとして、みんなで音楽もしたい。
アウトドアで自然をめいっぱい感じながら踊れる空間もっとあってくれ。
裸足で土を感じたり。
からだをゆるめ、感覚をひらく。
ポップな祝詞で神さま大喜び。
ゆるく、ポップに、みんながやりたいこと持ち込んで楽しみまくる本気の遊び。
「遊ぶ」って概念の癒し。きみちゃんが言ってた。
遊ぶって、ほんまはめちゃくちゃ尊い。
狭義にとらえられがちだけど、広いよね。ほんとは。
それを、頭で「そうだよね、うんうん」て言うだけじゃなくて、
「まじ、これのことかー!!!やば」
って、体験体感ができたらやばいやん。
そのはらに落ちる感覚を。
温度感を。
興奮を。
体感できるのがカーニバルやと思うもん。
まだまだ生まれたてのカーニバルグループ。
プロジェクト一緒にやりたいひと。
パフォーマンスしたいひと。
出店したいひと。
遊びに来たいひと。
めっちゃ楽しくなってくから、自分の心地よいスタンスで絡みに来てねー!
モリ詩。ウブドより。
せっかくもらった言葉たち、発信していこう!てことで、最近ステキな作品を相変わらずのセンスで生み出しまくってるしょこたんに絵をお借りして、言葉とあわせてみてます。
主にインスタで発信中だけど、ブログにも!
◇◇◇
優しさ。
水は、優しさ。
そのものと一体となって、潤し、育て、癒す。
含まれることによって、その質を変える。
その優しさは寛く、どんなものも抱きとめてしまう。
黒くもなり、濁りもする。
変幻自在、自由な存在。
カタチを変え、降り注ぎ、わたしの一部、あなたの全部に染み込む。
水とは質。
質とは優しさ。
鮮やかな緑は、優しさによるもの。
18.12.14 ウブドの森
◇◇◇
もっともっと色んなところおお話したいと思うのでしたー😆
深い瞑想が相変わらずテーマやw
イスラエルからの使者。
エンカレム。
その名前を初めて知ったのは、昨日の朝。
わたしは森と会話する時、あらかじめよびかけておく。
わたしと創ってくれる、こたえてくれる森さん、いたら教えてと。
イスラエルの話をよく聞くようになり、別件で友人に連絡したら、今エルサレムにいるっていうんで。
エルサレム、、乾燥してて森なさそうだけど、イスラエルにはあるっていうので、ピンとくる森を探してみた。
そして出てきたのがエンカレムの森だった。
頭ではコンビニに行こうとするものの、感覚が「待って!今いかんとって!!今お話しして!!」と内側から強烈におしてくるので、エンカレムの森と対話を始めてみた。
以下が、受け取った感覚をそのまま言葉に落としたもの。
◇◇◇
ひとつ
わたしたちはもともとひとつ
でもわかれる必要があった
ストーリーと解釈とともにただ流れていく必要があった
色がうまれ
感情がうまれ
歴史がうまれた
だれかが歴史をかいた
だれかがそれをのこした
だれかがそれをかえた
それを繰り返した
それは過ちではなく、必要でさせられていたこと
ただ起こったこと
激しい分離は何をおこしたか
闇と呼ばれるもの
その闇すら知りたかった
経験したかった
愛したかった
その上で、それを光で包みたかった
すべてのサイクルが全てに向かう時
今この瞬間にただかえっていく
今この瞬間に所有などない
今この瞬間に正義などない
今この瞬間に正解などない
ただ、すべてのものがあるようにあるだけ
生まれるのは共有
戻るのは光
ただあるものは愛
そしてそれは、ただの役割
その力強さは何をもっても失うことはない
- イスラエル エンカレムの森 18.12.14
◇◇◇
なんとなく、今エルサレムにいる友人にこの詩を送った所。
この森が近くにあること。
今日行く場所が死海文書に関連した場所で、この詩の内容と同じようなメッセージがあること。
せっかくこれから行くから、その場所で読み上げてきてくれるとのこと。
そして、行った後写真を送ってきてくれた。
とても綺麗な場所。
わたしはあんまり歴史とか知識とかそういうあたり詳しくないんで、ほんと、受け取っただけだけど。
すべての色は混ざり合い、黒まで行き着いた。
統合のサイクルに向かい、黒の要素が包まれていき、虹色の変化を経て、すべて透明に変える。
色のエネルギーでいうと今回はそういう感じがした。
いつも、もらったものは直接使わず、そこから歌詞に変換しているのだけど、この自然からのダイレクトなメッセージも、詩として残していきたいなあと思う。
現地の友人とわたしの連携プレーで、その想いを、何か大事な場所で言葉にしてきてもらえたことの意味と、繋がりに不思議さと感謝を感じつつ。
自由な共同体みたいな音楽プロジェクト。
「出入り自由な、共同体みたいな音楽プロジェクト。"モリのフクロウ"」
自然と、森は自分の中にある。
自然、森と繋がり、自分の中の森を再発見する。
"自然と繋がり、それを音楽を通して、人と繋ぐこと。自然と人が一緒に遊ぶ音楽"
この想いに共感してくれて、メロディがつくれたり、楽器できたり、共同創造を楽しんでくれる人がいたら。
"モリのフクロウ"を一緒に遊んでくれる仲間を探しています。
ピンとくる人、あの人いいんじゃない?と思う人がいたら、ぜひお繋ぎいただけたら嬉しいです!
◇◇◇
昨日ふと、突然ひらめきがおとずれた。
7月におとずれた直感のままに、まず、森のフクロウとして、自然とつくり、歌うことを始めた。
歌は昔やっていたけど、歌をつくったことなんてない。
同時に進んでいた声開発によって、声が自然エネルギーと同じヒーリングボイスになるなんてことも起こったりした。
最初はほんとに、何が正解なのかなんてまったく気にせず、一つ一つ、未開拓のことにチャレンジだけし続けた。
歌うことを拾い上げる。
声を開発する。
詩をつくる。
メロディをつける。
ヒーリングセッションをはじめる。
つくった歌を歌ってみる。
友達にきいてもらう。
森で録音する。
youtubeにチャンネルをつくる。
動画を公開する。
初めての個人ライブをやる。
自然に話しかける。
自然と内的に繋がる。
自然と対話する。
歌に落とす。
声と自然をさらに繋げる。
動画に顔を出す。
歌をあげる。
一連の流れのままに、その時できることをやってきた。
ここ最近は、望むカタチがなかなかつかめず、メロディを降ろすのにも違和感があり、詩だけがたまっていた。
自然との対話は満たされる時間。
自然からもらったメッセージを詩に変換するのも楽しい時間。
でもメロディを落とすこと。
その先、完成した歌を一人で歌い続けることに違和感がでていた。
もっと違うベストなカタチがあるはず。
なんだろう。
創りたいのに気がすすまないという葛藤は気持ちを濁らせた。
一つひとつ丁寧にみて、自分の心が沈み切らないように声を聞き続け。
そして昨日、方向性を示す一つのアイデアがぼんやりバスに乗ってたら降ってきた。
「これはわたし個人の活動名ではなく、音楽プロジェクトの名前だ」
「でいり自由な、共同体のような音楽」
そんな言葉が湧いてきた。
あたまで考えてはわからなかった、心の底からわくわくする感じが溢れてきたことが嬉しかった。
わたしにできること。
自然と精神的対話すること。
メッセージを受け取ること。
メッセージを詩にすること。
自然エネルギーを声に乗せて歌うこと。
わたしは、それ以外のことは今のところ出来ません。
メロディは、アカペラで湧いたものだけ。
森の心地よさを漂わせる楽器も、それにフィットするメロディも出来ません。
だから、同じように、
"自然と繋がり、それを音楽を通して、人と繋ぐこと。自然と人が一緒に遊ぶ音楽"
この想いに共感してくれて、メロディがつくれたり、楽器できたり、共同創造を楽しんでくれる人がいたら。
"モリのフクロウ"を一緒に遊んでくれる仲間を探しています。
同じような想いでいるだれかに、このメッセージが届くことを祈りつつ。
よんでくださった方、ありがとうございます😆
“森といのちのカーニバル”仲間募集!!
“森といのちのカーニバル”
今年の5月、頭にふと飛び込んできた言葉。
それがよぎった瞬間、爆発的にわくわくして、よく考える前から「何それ絶対やりたい!!」って思った。
キャンプや自然はもともと大好き。しかもそうこうしてるうちに、これも直感から森とともに創り、森とともに歌うという活動が始まった。
とにかく、森が呼んでる。それだけはわかった。
そしてもう1つの大事な文脈として、私はみんなが楽しそうにわいわい輝いてる場が死ぬほど好きだ。
自然とお祭り。
この2つの要素がものすごく魂を揺り動かす。
最初、カーニバルのことが浮かんだのは、
“火を囲み、星空に包まれ、みんなで歌い踊る”景色。
それだけで嬉しくて、魂がよろこびに包まれる感覚。
ずっと思っていることは、とにかくみんなで遊びたい。
人も、自然も、目には見えないすべての存在も、本当はすべて友達。
みんなで生きてることの、この瞬間の喜びをシェアできたら、さいっっっこうやん!!この瞬間のために生きてるわ!と思えるほどに、わくわくする。
自然を感じる。空気のにおい。
ひらいていく感覚。
気持ち良さに身をまかせる。ひたる。
身体を動かす。
全部、だれでもない自分の感覚を全開にして味わう遊び。
動かしがちな頭が止まる。
身体で感じ、心がしゃべる。
ありのままの自分であること。
そのよろこびを簡単に一番に感じられるのが、こどものようにあそんでるこの瞬間!
そんな時、見えてなくても森たちも一緒に楽しんでる。自然も楽しいこと、幸せそうなエネルギーは大好きなんやな!
なので、とにかく、このカーニバルをやります!ということを宣言する。
感覚的に、来年の5月とか前後かなというイメージがある。それだけ!!
それ以外は、仲間も、場所も、お金も、何もないところからのスタート。
直感だけに従って、何もないけど、すべてある今。
病気が終わって、元気になった1年前。
夢と情熱と没頭することが人生の何よりの栄養な私は、本気で願った。
お願いだから、わたしが魂を注げることを見つけさせてほしい。
それが見つからなかった去年の今頃は、会社を辞めた時より、お金がなくなった時より、病気で身体の一部を失った時より、人生で一番苦しかった。
何かしたいのに、何も出てこない。
少しずつ出てきた何かをつなぎ合わせ、今やっと、森と歌う森のフクロウとして、みんなで、森でよろこびが爆発するカーニバルがやりたい!と挑戦していける。
夢があるだけで生きていける。まじもうそういう生き物やなとつくづく思う。
ということで、みんなで遊ぶカーニバル、一緒につくりませんか?
・自然と遊びたいひと
・自然の中で火を囲み歌い踊りたいひと
・なにかパフォーマンスしたいひと
・祭りの運営側をやってみたいひと
・やってみたい企画があるひと
文化祭って、準備しとる時からすでに楽しいみたいに、巻き込まれちゃえば最高楽しいとおもうんよ!!
心が反応したあなた!
仲間、支援者、協力してくれる人!お待ちしてます!!!