"モリノフクロウ" みすずの“ world is carnival”

モリとうたう音楽プロジェクト、"モリノフクロウ"主催 みすずのブログ。人も自然も、みんなで遊ぶ。Life is carnival😆

「何かである」より、「何しにきた」のか。

不安になる時。


先が見えないって感じた時。



そういう時は、だいたい「答え」とか、「どうしたらいい」とか、答えを欲しがってるのかもしれない。



いくらここにない「答え」らしきものを聞いたところで、自分の心が訴える本音を聞いてあげなければ、不安がやむことはない。


だって気付いて欲しくてアラームをだしているんだから。



みえないものに対して、既にあるものや答えに見えることを当てはめるのは簡単。



でも、それっぽいものに自分をあわせたところで、それって本当にやりたいこと?



「わたしは○○だ」

「あなたは○○です」


一時的には、それも安心するのかもしれない。


でも、それだけで自分をあらわせる?

○○であろうとすることで、削ってしまっている自分の可能性はないだろうか。



すでにあるものにあわせようとするな。


自分そのままで存在する。



ブロガーだったら、普通こう。

youtuberだったら、普通こう。

デザイナーだったら、普通こう。


でも、わたし、だったら?



わたしが最大限楽しい形は?



肩書きは便利だ。



便利だけど、可能性を潰す無意識に押しつぶされないことが大事。



「わたし」をあらわすための手段。



その手段は、その時々によってたくさんあるはず。



歌を歌う。

言葉を紡ぐ。

動画にする。

イベントを開く。

食事をつくる。



手段を通して、この世界で自分がやりたいことは?


手段を通して、この世界で自分が表現したいことは?



この世界に、今の地球に、今の自分で生まれてきた意味。



今あるものでしっくりこないのなら、もしかしたら、今はまだない新しいものを生み出す役割なのかもしれない。



ないのなら、つくればいい。



自分の心が躍ること。

何度も繰り返し言ってしまうこと。

またここに戻ってきた、って感じること。



魂が求めてることに、正直に。



いつも、すぐ忘れてしまうものだけど、心は忘れない。



いろんな遊び方で、「いまこの世界に、わたしがやりにきたこと」を。



世界にあらわしていこう。


f:id:green_owl88:20181017125347j:plain